キャノン=バード説とは?感情と身体の反応が同時に起こるという考え方
突然、背後で大きな音がすると、「怖い」と感じる一方で、肩が跳ねたり心臓が速く打ったりすることがあります。このとき、怖さを感じた後に身体が反応したのでしょうか。それとも、身体が反応してから怖くなったのでしょうか。
キャノン=バード説は、出来事を受け取った脳の働きによって、感情を感じることと、心拍や筋肉などの身体の反応が並行して起こるという考え方です。身体の変化を感じることが感情そのものになる、という説明とは異なります。
キャノン=バード説とは?「同時に起こる」の意味
この説は、ウォルター・キャノンが1927年に示した説明と、フィリップ・バードによる脳と感情的な行動の研究を背景に発展しました(Cannon, 1927、米国心理学会心理学辞典, 2018)。
たとえば、すぐ近くで大きな物音がすると、その情報が脳に届き、次の二つが並行して生じると考えます。
- 「怖い」という感情を経験する。
- 心臓が速く打ち、身体がこわばるなどの反応が起こる。
ここで重要なのは、身体の変化を知らせる情報が脳に戻るのを、感情の経験が必ず待つ必要はないと考える点です。「同時」とは、二つの反応が同じ出来事から並行して起こるという理論上の説明であり、実際の感情と心拍の変化が必ず同じ瞬間に始まると測定によって証明された、という意味ではありません。
キャノンたちは、脳の奥にある視床(目や耳などからの情報の中継に関わる部分)や視床下部(心拍などの身体の働きや行動の調整に関わる部分)を重視しました。ただし、これらの場所だけで感情の仕組みがすべて説明できる、というのが現在の結論ではありません(米国心理学会心理学辞典, 2018、Purvesほか, 2001)。
なぜ身体の反応が先だという説明に疑問を持ったのか
キャノンが検討したのは、先に提案されたジェームズ=ランゲ説です。この説では、出来事に続いて身体が変化し、その変化を感じることが感情の経験になると考えます。一方、キャノンは、感情を身体からの知らせだけで説明するのは難しいと論じました(Cannon, 1927)。
キャノンが挙げた理由の一つは、異なる感情でも身体の反応が似ることです。怒っているときも怖がっているときも、心拍が速くなる場合があります。心拍の変化だけから、どちらの感情かを区別できるとは限りません。また、内臓の反応には時間がかかるものがあり、出来事に対してすぐに生じる感情を、その反応が脳に伝わってから初めて生じるものとして説明するのは難しい、と考えました(McNaughton, 1989)。
これらは、身体の変化を感じることが感情にまったく関わらないという証明ではありません。キャノンは、身体の反応を感情が生まれるための唯一の出発点とする説明に異論を唱え、脳の働きから感情の経験と身体の反応が並行して生じるという考えを提示しました。
バードのネコの実験は何を示したのか
フィリップ・バードは1928年に、脳の一部が感情に似た行動や身体の反応にどう関わるかを、ネコで調べました。左右の大脳半球(脳の上部にある大きな部分)を取り除いたネコは、麻酔から覚めた後、背中を丸めたり、毛を逆立てたり、うなったりしました。血圧や心拍の変化も見られました。攻撃する相手がはっきりしないまま怒っているように見えるため、こうした反応は「見せかけの怒り」と呼ばれました(Purvesほか, 2001)。
さらに、脳の奥の部分をどこまで残すかによって反応が変わりました。視床下部の後ろ側が残っている場合には、怒りに似た一連の反応が現れましたが、その部分と下方の脳とのつながりを断つと、まとまった反応は現れなくなりました。バードは後の論文で、感情に伴う動作や身体の反応をまとめるうえでは、視床よりも視床下部が重要だと整理しています(Purvesほか, 2001、Bard, 1934)。
この研究が示したのは、怒りに似た行動と身体の反応を組み立てる働きが、脳の特定の部分に関わるということです。ネコ自身が怒りを感じていたかどうかは、この実験からは分かりません。そのため、感情の経験と身体の反応が人間でも必ず同時に始まることまで、直接確かめた研究ではありません。
現在はどのように考えられているのか
キャノン=バード説は、感情を考える際に身体の反応だけでなく、脳の働きも重要だと示した歴史的な考え方です。一方、現在は感情に関わる働きを、脳の一か所だけではなく、複数の部分と身体が関わる仕組みとして考えます。身体から脳に伝わる情報も感情の経験に関係するため、「感情と身体の反応は完全に無関係だ」という説明に置き換えることはできません(Kirbyほか, 2024、Purvesほか, 2001)。
この説から理解したいのは、身体の変化を感情の唯一の原因と決める必要はなく、出来事を受け取った脳の働きによって、感じることと身体の反応が並行して生じる可能性に目を向けた点です。
身近な場面で考える
たとえば、静かな部屋で本を読んでいた人の近くで、突然ドアが大きな音を立てて閉まったとします。その人は「びっくりした」と感じ、肩をすくめ、胸がどきどきするかもしれません。キャノン=バード説では、驚く出来事を受け取った脳の働きから、感情の経験と身体の反応が並行して起こると考えます。
これは理論の仕組みを想像するための仮の例です。感情と身体の関係を理解するうえでは、「身体が先か、感情が先か」という一つの順序だけでなく、両方に関わる脳の働きを考えることも大切です。
参考文献・出典
- Cannon, W. B. (1927). The James-Lange Theory of Emotions: A Critical Examination and an Alternative Theory. The American Journal of Psychology, 39(1/4), 106–124. ジェームズ=ランゲ説への異論と、脳の働きを重視する代替的な説明を提示した原著論文。
- Bard, P. (1934). On Emotional Expression after Decortication with Some Remarks on Certain Theoretical Views: Part I. Psychological Review, 41(4), 309–329. 大脳皮質を取り除いた動物の反応について、視床下部の役割を重視した論文。
- American Psychological Association (2018). Cannon–Bard theory. APA Dictionary of Psychology. キャノン=バード説の定義、感情の経験と身体反応の関係、脳の部位の位置付け。
- Purves, D., Augustine, G. J., Fitzpatrick, D., ほか(編)(2001). The Integration of Emotional Behavior. Neuroscience, 2nd ed., Sinauer Associates. バードのネコの実験で観察された行動・身体反応と、脳の部位による違い。
- McNaughton, N. (1989). Somatic Influences on the Emotions. Biology and Emotion, 67–76, Cambridge University Press. 身体の反応を感情の原因とする説明に対するキャノンの主な批判の整理。
- Kirby, E. D., Glenn, M. J., Sandstrom, N. J., & Williams, C. L. (2024). 13.1 Foundational and Contemporary Theories of Emotion. Introduction to Behavioral Neuroscience, OpenStax. 感情理論同士の違いと、脳・身体・状況の関係を説明する教材。